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できないといわれた交換留学のチケットを手に入れるまで(留学記 前編)

えとせとら
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そろそろ海外への渡航が解禁されつつあるので、留学の体験記でも書こうかな。

わたしは、大学生の頃に2度の留学を経験しました。

1度目は約半年の長期留学、そして2度目は学校で唯一の交換留学生としてです。

今回は、交換留学への切符をGETした方法について、日記調に複数回連載でお話しします。

大学1年生、留学課の門を叩く

わたしの留学は「憧れの留学(キラキラ)」という気持ちだけで叶ったなものではありませんでした。むしろ「このやろー--!やってやっかんな!!!」という気持ちの方が強かったです。

大学入試に失敗して、行きたくもなかった名前しか知らない大学へ入学。

海外留学へ力を入れている大学ではなかったのですが、「絶対に留学してやる!」と誓っていました。当時の気持ちは、大学入試で砕け散って灰になったわたしの残りカスがジワジワと燃えるようなじめっとした情熱でした。

どうにかして、この大学に来た意味を見出したい。

そう思い、授業開始日に大学の留学課の扉を叩きました(実際は窓口なので扉ないけど!笑)

交換留学、お断り?!

わたし「1年間の留学がしたいです!どうしたらいいですか?」

留学課「は。無理です(苦い顔)。まずは半年間の留学目指したら?」

わたし「1年の交換留学がいいです!」

留学課「ここ数年、交換留学生は出ていません。TOIECは何点ですか。」

わたし「どうしたらいいですか?TOEICは受けたことないです」

留学課「語学力がかなり必要です。難しいので諦めてください。留学するなら、短期か半年の長期留学を目指してください。詳しくはそこの冊子で。では。」

わたし「?!?!?!」

---

という会話が、大学の事務スタッフとのはじめてのものでした。

一方的に会話が打ち切られるし、すっごい冷たい態度。

今思っても、なんか最低じゃない?!

言い方ってもんがあるし、交換留学制度があるのに使えないってそれ留学課の意味?!?

反抗精神、芽生える

留学課で諦めろと言われたからと言って、諦め切れるわけない。

長期留学をまずやれと言われたけど、そんなん余計にお金かかるやん!!

とは思いつつも、まだ右も左もわかってない入学したての地方民なわたし。標準語で冷たくあしらわれたら、心が折れそう。

でも。

くっそーーーーー!!!

という気持ちで長期留学への切符獲得をまず目指すことにしました。(なんだかんだで、大人の言うことには従うまじめ生徒)

ちなみに、交換留学では当時国からの補助金で月に数万円いただいていました。そのため、実際に交換留学でかかった費用は(授業や教材費、宿泊費以外の)渡航費、食事代、旅行費くらいです。

長期留学に申し込む

長期留学への切符は比較的スムーズにゲットできました。

というのも、私としてはここは通過点だったので乗り越えずして交換留学はなかったから熱量もすさまじく、講師陣へのアピールはじゅうぶんでした。

留学先は、最も授業が厳しいと言われていたカナダを選びました。

授業についてこられなければ、強制帰国ありというスクールが学び舎です。

留学した理由はもちろん、【交換留学するためには長期留学をまずして語学力を上げるため。そのために一番まじめに勉強をできる国を選んだ。】

この熱意と、必要なTOEICスコアの獲得で長期留学の試験や面接をクリアしました。

英語力が上がらなくて泣く

そもそも大学入試に落ちるレベルの私なので、英語力がすごくあったわけじゃありません。

カナダについてすぐ、英会話のレベル分けテストを行い、スクールは中級からのスタートとなりました。(英会話スクールの中級レベルは、かろうじて日常会話ができるレベル)

この現実にまず、打ちのめされました。

でも、やるっきゃない!と毎日レポート課題をまじめに取り組む日々。期間は3学期なので、その間にどれだけ英語力を向上できるかが勝負です。

毎週あるテスト、そして中間テストと期末テストを終えての学期末。

期末結果は、FAILでした。

点数が少し足らず、中上級レベルのクラスへ移動することができませんでした。

あまりのショックに、帰宅後ホストマザーの胸を借りて泣きました。

落ち着いたらすぐに図書館へ行って勉強しようと机に向かったけど、やっぱり悔しくて泣いて勉強どころではありませんでした。

何をやってるのかよくわからずに辞書を開いたり閉じたりしてたのを覚えています。

自分が不甲斐ない

正直、自分に甘えがあったと思う。

厳しい授業、毎日出される山ほどの課題(宿題だけで3~4時間使います)。それらをこなしてさえいれば、英語が習得できると。

でも、ただ与えられた課題をこなすだけではダメだとその時やっと気づきました。

すべての課題で、ハイスコアを取る。

それくらいの意気込みで1つ1つを真剣に、能動的に学ぼうと改心しました。

2度目の中級クラス。

わたしは、クラスで1番優秀な生徒を目指して努力しました。

課題のレポートも、「~と思いました!~です!」みたいな書きやすく幼稚な内容ではなく、もっと論理的かつ具体的に人を説得する内容のものを書くよう意識しました。

課題内容をラクに簡単に終わらせてまあまあの点数を取ることで前回は失敗したので、課題をより深く考察して講師を納得させる内容で高得点を狙うことにしました。

気持ちを切り替えても、なかなかすぐには結果として現れず、すごくつらかったです。

最初の小テストは目標スコアに全く手が届かず、同じレベル2週目なのに…と肩を落としました。

でも、努力し続けなければ成長はあり得ない。

そう思って人より努力するを意識して過ごしました。

努力は遅れて結果になる

2学期目が終わり、結果判定がでました。

なんと、クラス1位で中上級クラスへ移動が決まりました!

嬉しいよりも、ほっとした。が一番近い気持ちです。

帰国せずに済みました

当時のレポートを見返すと、今のわたしよりあらゆる面で優秀で感心します。笑 こんな文章が書けたなんて、頑張ってたなぁ。

留学最終タームの3学期目。

中上級クラスは、やはり中級よりも求められる読解力、スピード、レポートの量が増えます。

それと同時に沸々と意識し始める、交換留学への道

そんな3学期目の授業と交換留学のための地盤固めについては、次の記事に続きます。

続きの話「交換留学を応援してくれる人がいなかったら、留学は絶対にできなかった。人脈づくりの重要性を学ぶ(留学記 後編)」も気軽に読んでいただければ嬉しいです。では、また!

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