「人事を尽くして、天命を待つ」とはよく言うけど、どれだけ頑張っても上手くいかないことは往々にしてあります。
就活でも落ちるたびに「私のどこが悪かったの?」なんて思うけど、大体の場合は悪いことなんてないんですよね。
ただ、他の人の方が優れていたり、魅力的だっただけなんです。
わたしの留学に関してもそうでした。
努力だけじゃ勝ち取れなかった。
何かを成し遂げる時、ひとりの努力よりもたくさんの協力者がいるほうが成功は近づきます。
人事を尽くして、協力者を得て、果報を待つ。
ひとりで黙々と努力するのが美徳だと日本ではよく言うけれど、周りに「私は〇〇のために頑張ってるんです!」って宣言する方が絶対大きなメリットがあります。
気づかれない努力は格好良く見えます。でも、実るまで誰もわからない。
努力を人に見てもらっていたら、そのうち協力してくれる心強い味方ができるのです。
中上級クラスでしごかれる
留学記前編「交換留学は無理だと留学課に言われてからカナダでの語学留学をまず目指した話」を先に読んでね
カナダでの語学留学も後半戦。中上級クラスへ移動すると、クラスメイトのモチベーションもかなり変わってきました。
英語を学びにきた語学留学生だけではなく、両親の都合で現地に住んでいる人や、カナダの大学へ編入するために来ている人が増えました。
私が通っていたスクールは大学が併設されており、最終的にはその大学への編入をゴールとしていました。
そのため、学ぶ内容は「併設大学の授業を理解できる、ついていける」ことを目指したものとなり、必然的にエッセイやレポート課題が大量に出されました。
交換留学という野望がフツフツと…
毎日必死で取り組んでいたため忘れかけてたのですが、わたしの目標は交換留学でした。
最後の3学期目に突入するにあたり「もっと海外で勉強したい!」「語学留学じゃなくて、現地の人と一緒に英語じゃなくて他の授業を受けたい」という気持ちが強くなりました。
でも、何から始めたらいいかわからない。
そこで私は、情報収集からはじめることにしました。
礎を築く【人脈づくり】
結論から言うと、情報収集こそがわたしが交換留学に行けた最大の理由となりました。
情報収集するには、いろんな人に話を聞きます。すると、たくさんの人が「この子は交換留学に行きたいんだ」と知ることになり、そのために助けてくれたのです。
わたしが留学できたのは、人脈作戦の結果です。
当時は必死だったため、人脈を築こうだとか、講師やスタッフ陣を味方につけようだなんて思って行動していませんでした。
ですが結果として、応援してくれたたくさんの人のおかげで留学できたのは間違いありません。
知ってそうな人に片っ端から当たる
まず、一度は「ムリ」と言われた留学課のスタッフに当たりました。
「交換留学したいんです!何か情報しりませんか?」
すると、その年は国からの留学補助が手厚く出たことと、久しぶりに交換留学を希望する生徒が出たため、5年ぶりくらいに交換留学生が決まったとのことでした!!
いつのまに?!
すぐに先輩にそのことを伝えて、どうにかその交換留学生の人と連絡が取れないか聞き、人伝いに連絡先をゲットしました。
それからは、留学課のスタッフ、実際に交換留学をする人、日本の大学教授にめちゃくちゃ連絡をとりまくり、
わたし、交換留学したいんです!!!
と猛アピール!!!
「そのために、何したらいいですか?」「できること、ぜんぶします!」「必要な情報すべてください!」「話を聞ける人を紹介してください!」
と得られる情報はすべて手に入れるつもりで動きました。
この必死さが、後々自分のためになるとはその時は思ってもみませんでした。
何はともあれ、最低限の英語力
交換留学は、語学留学と違って現地の大学生に混じって同じ授業を受けることになります。
周りは、留学生だらけの環境から一転、英語のネイティブスピーカーだらけになるのです。
必要最低限のコミュニケーションをするためにも、各大学で必要なTOEFLスコアがありました。
まずはそのTOEFLを受験し、必要なスコア獲得が必要!
留学中だったため、毎日出される3~4時間分の課題に押しつぶされそうになりながらも、TOEFLの勉強も並行して始めました。
TOEFLを受ける体力がない
TOEFLって、4時間くらいある試験です。
- リーディング
- ライティング
- リスニング
- スピーキング
すべての項目をパソコン相手に戦います。
パソコンに向かって話さないといけないの、ちょっと恥ずかしかったな。。
TOEICと比べて一つ一つの文章は長いし、内容も学術的になる。
そして何より、拘束時間が長い!!!
TOEFLの試験を受けた日は、体が端からサラサラ~っと崩れ落ちるように疲れ果ててました。
ゆめ、木っ端みじんに砕け散る
そんなTOEFLの試験を、留学中に2度、受けました。
受けたのですが、必要なスコアに届くことはありませんでした。
たくさんの人が、それまでに私のことを応援してくれて、色々教えてくれて、手を貸してくれました。
それに報いるために、わたしも頑張ったつもりだったんですが、ダメでした。
大学受験に失敗したことを思い出し、やっぱりわたしなんて。と悲しくなりました。
スコアが足りなかったことを留学課へ伝えて、わたしの交換留学への野望は潰えました。
「がんばったけど、努力が全然足りなかったのかな」と、結果が分かった日はゴルフコースの公園の周りを泣きながら一人でぐるぐる歩きました。
「まだ、諦めないでいいよ」の言葉
それからも、留学は続くのでせめて今がんばろうと残り期間を必死に過ごしました。
最後の3学期。
わたしは再び、クラストップの成績で終了することができました。
点数が伸び悩んだ時に相談した先生に、「本当によくがんばったね。エッセイすごく良かったよ」と言われた時、救われた気持ちになりました。
それと同時に、もう一つ嬉しい報告書が。
留学課のスタッフさんが、わたしをなんとか交換留学に行かせるためにアメリカの大学に掛け合ってくれていると連絡があったのです!!
交渉によっては、交換留学、できるかも!?
周りを巻き込むことで生まれた力
結果を言うと、大学が現地アメリカにある大学と交渉してくれたおかげで条件付き特例での交換留学が認められました。
直接は言われなかったけど、たくさんの講師陣やスタッフの方々がこのために交渉をしてくれたのだと思います。
2年くらいかけて「交換留学したい」といろんな人に言い続けたことで、周りが協力してくれたのです。
交換留学ができるとはいえ、もちろんそのための試験はありました。
英語力の条件引き下げられたことによって、私以外にも留学を望む生徒はいましたが、留学生の枠はたった1人だけ。
現地大学への入学希望の意思を英語で数ページ分書いたり、講師陣との面接などを受けてその1枠を勝ち取る必要がありました。
この時に大きく実感したのですがやはり「今まで一貫して言い続けたこと」を人は見ています。
入学当初からずっと交換留学を希望していると、留学課のスタッフも講師陣も(もちろん友人や先輩たちも)みんな知っていました。
交換留学ができると知ってから応募した人と、交換留学をしたいと言い続けた人。
同じレベル、同じ条件だったとしたら後者が選ばれるのは必然ですよね。
交換留学への切符を手にした時、私自身大喜びしましたが、やっぱりずっと見てくれてた友人、スタッフさんたち、教師の人たちが一緒になって物凄く喜んでくれました。
その時に気づいたんです。
交換留学のために必死に頑張ってきたつもりだったけど、わたしは個人じゃなくチームで勝ったんだと。
主人はこれ聞いて「つまりコネで留学できたってこと?」って言います。
コネって、ちょっと嫌な言い方。笑
何かの見返りを求めて他の人は私の協力をしてくれたわけじゃなく、好意で協力してくれた。だからわたしは、コネじゃなくて応援って言いたい。
恩に報いる
たくさんの人が応援してくれた。
わたしの力ではできなかったことを、みんなが持ち上げて目標に手を届かせてくれた。
恩に報いるためにも、わたしは優秀な生徒を目指しました。
アメリカ人を対象にした授業は難易度が高く、言っている意味を理解することすらはじめは困難でしたが、3学期の間に受けた授業すべてでAまたはA+(最高点)をとりました。
「現地で何してたの?」「あなたのために頑張って交渉したのに」なんて絶対に思わせたくなかったし、なにより私が現地で頑張ることが何よりの恩返しと思ったのです。
さいごに
何かを求める時、そしてそれが叶った時はいつも「自分の力」だと思うことが多いです。
実は私も、留学に行くまでに人以上に努力している自負があったので「自分の力で」手に入れた交換留学の切符だと思い込んでた時もありました。
わたしは頑張った!自分の努力で得たものだ!って。
でも、冷静な目で見ると、自分の力は到底夢には足りてなかったんですよね。。
いろんなところでも言われたり書かれたりしてる通り、大きな力が働く要因は「人とのつながり」。
必死な人、努力してる人を見てると、私だって応援します。あの人のために自分にできることは何かな?と考える。そこに損得勘定はありません。
そんな優しい繋がりが、この時わたしの力となってくれました。
だから、夢を語るのは大切です。
夢に向けて努力し続けることは最も大切ですが、思うようにいかない時は周りの人に自分の夢を語ると上手くいくかも!
こうなりたい!こうしたい!やってみたい!というポジティブな気持ちは、どんどん発信していきましょう!
ポジティブな気持ちは、周りを大きく動かす力になってくれます。
逆に、そうやって頑張ってる人がいたら応援する気持ちも大切に^^
では、また。
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